

釈迦牟尼仏を王様に喩えるなら、パルデン・ラモは王様を守護する護衛のようなもので、とても貴い存在です。お体の色は紺色で、忿怒尊の恐ろしげな姿をしており、野生の黄色いラバの上にのっています。
(パルデン・ラモのタンカ参照)
〔編者註 パルデン・ラモの姿について:
一面二臂、右手に金剛杵の先端のついた棒をもち、左手には頭蓋骨の器をもっている。三眼で、口からは上下あわせて鋭い牙が四本見えている。また生首の首飾りをかけ、虎の腰巻をしている。右耳には雪獅子の耳飾り、左耳には蛇の耳飾りをし、頭には忿怒の神々特有の五つの頭蓋骨の飾りのついた冠をかぶり、赤い髪の毛は猛々しく逆立っている。〕
パルデン・ラモを信心すれば、大いなる御利益が得られ、逆に悪しき行為ばかりおこなうなら、パルデン・ラモから罰が下ります。とにかく働きの速い女神様なのです。
パルデン・ラモの瞑想法はさまざまですが、以下は、その一つの四段階からなる瞑想法です。
パルデン・ラモのお姿は、本来、紺色(ダーク・ブルー)ですが、四段階の瞑想法では、パルデン・ラモのお姿はそのままに、色だけを白、黄、赤、黒と変えていきます。最後の黒は本来の色である紺色(ダーク・ブルー)にしてもかまいません。
<パルデン・ラモの真言(マントラ)>
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ジョ・ラモ・ジョ・ラモ・ジョジョ・ラモ・トゥンジョ
カラ・ラクチェンモ・ラモ・アシャ・タシャ
トゥン・ジョ・ルルルル・フンジョ・フン
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※アムド方言発音
パルデン・ラモの観想の順番
1.白
白い色のパルデン・ラモを頭の上に観想し(向きは自分と同じ方向を向いている)、そこから白い加持(=祝福)の甘露が降り注がれ、中央脈管などを通じて心身に入ってくると念じる。その甘露は心の汚れをとりのぞき、さらに病や障りをもたらす魔物を取り除いていてくれると観想する(息災の業)。
2.黄
黄色いパルデン・ラモを頭の上に観想し、そこから黄色い加持の甘露が中央脈管をつうじて心身に入ってくると念じる。その黄色い甘露により、長寿や福徳の障りが取り除かれ、長寿や福徳(幸運)を得ることができると観想する(増益の業)。
3.赤
赤い色のパルデン・ラモを頭の上に観想し、赤い加持の甘露が中央脈管をつうじて心身に入ってくると念じる。その赤い甘露により、物事が思い通りにいかない時、あるいは望みがどうしてもかなわない時に、その障害が取り除かれ、満願成就をもたらす力を得ることができると観想する(敬愛の業)。また、他の生き物の望みをかなえる力が得られると観想する。
4.黒
黒い(もしくは紺)色のパルデン・ラモを頭の上に観想し、そこから黒い加持の甘露が降ってくると念じる。その甘露が、未だに残っている病や障りを為す魔物を力ずくで取り除いていくと観想する(調伏の業)。外なる敵も内なる敵もすべて折伏でき、敵も障害もきれいさっぱり取り除かれ、障害をもたらすものも、障礙もない、快適そのものの状態になると観想する。
最後にパルデン・ラモが心に溶け込んで、自分とパルデン・ラモは一体になり、とても貴い存在になったと観想する。
解説 1
Q: 自分の姿もパルデン・ラモとして観想するのですか?
A: いいえ、ただパルデン・ラモという素晴らしい神様のお心が自分の心に溶け込んで一緒になったと思えば良いのです。
解説 2
Q: パルデン・ラモのお姿をみると、髑髏などをさげ、忿怒相でいかにも恐ろしげな姿ですが、それは何故なのでしょうか。
A: パルデン・ラモは弁財天の忿怒形です。弁財天そのものは寂静の神様ですが、もし穏やかな姿をとっても衆生を救済できなければ、忿怒の姿をとる必要もでてきます。
たとえば子供が良い子なら、親はやさしい態度で子供に接し、お小遣いやお菓子をあげるでしょう。逆に親のいいつけに従わず、学校にもいかず勉強もしない子供には、親は怖い顔をして厳しく叱りつけたり、体罰を与えたりするでしょう。それと同じく、神々も衆生を救済するにあたって、方便巧みに忿怒の姿をとったり、寂静の姿をとったりするのです。
このマントラを十万回唱えてみてください。短期間に十万回を唱え終えることが無理であるならば、毎日、最低でも七回唱えてください。一度唱え始めたら、とぎれず毎日続けてください。できれば最初に十万回唱え、その後は、日々七回、あるいは二十一回唱え続けるのがよいでしょう。パルデン・ラモは御利益の速い神様であると同時に、怒りっぽく嫉妬深い神様でもあるのです。そのため、一度唱え始めたら中断することは望ましくありません。例えば、今日はマントラを唱えてみて、良いことがたくさんあったが、翌日にはマントラも行もすっかり忘れてしまったというような唱え方をしていると、パルデン・ラモが気分を害されます。
マントラを十万回唱えているうちに、なんらかの印となる夢を見るはずです。夢の中に印として現れてくるものは:
夢に印として現れた魅惑的な美女が、尿や排出物をかけたり、血まみれの肉をくれると、より吉祥と言えます。
そのような夢が出てくるのは一度きりです。こうした夢は、パルデン・ラモの修行がうまくいった印で、それ以降、パルデン・ラモはあなたの傍に寄り添ってくれるでしょう。十万回を唱え終わる前にこうした夢を見ても、十万回をきちんとすませましょう。一度、印の夢を見たら、十万回唱え続けても、その後あらたに夢を見ることはありません。ただし、そのまま途切れずマントラを 一日七回、あるいは二十一回唱え続ければ、人生の重大事にパルデン・ラモのお姿(または美女のような)の夢を見ることはあります。
パルデン・ラモの瞑想を行うと、今生でのさまざまな障害を取り除くのに役立ちますし、来世にも役立ちます。
このマントラは即効性があり、すぐさま効果がもたされます。特に、ビジネスや商売に携わっている方がこのマントラを唱えると、とても御利益があります。またビジネスにかかわらず、人生におけるさまざまな障害が取り除かれ、人生をより良い形に変えていくのに役立ちます。ただし前述したように、いったん行をはじめたら、絶やさないほうが良いです。非常に速やかに御業をなしてくれる一方、ないがしろにすると不快感を表すかもしれません。
パルデン・ラモはとても強力な女神なので、もしパルデン・ラモを信仰すれば、すべての障害が取り除かれ、願いがかなえられるでしょう。これは私自身の実体験でもあります。しかし、「こんなものが欲しい」と願ったからといって、パルデン・ラモが物理的に物を与えてくれたり、助け人を連れて来てくれるわけではありません。ただ、あなたの心を変える手伝いをしてくれるのです。
もう一つ重要なことは信仰心です。信仰心さえあれば、悟りという目的地に至る道が確保されます。しかし、逆に信仰心がなければ、道は閉ざされてしまいます。もしあなた自身が、仏も仏法もない、来世などないといった邪見を抱くなら、自ら道を閉ざしたと同じで、誰も救いの手を差し伸べることはできません。そのようなわけで、信仰心はとても大切なのです。
さらに努力(精進)も必要です。これは旅人が道を一歩一歩あゆむようなものです。せっかく修行の道に入っても、そこにただ座り込んでいるだけでは意味がありません。修行の道に入ったなら、悟りという目的地に向って、一歩一歩努力していかなければなりません。一歩あゆめばそれだけ悟りという目的地は近づいてくるはずです。ですから、このパルデン・ラモの修行法も是非努力して続けてみてください。
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